職場での「課題の分離」を考える アドラー心理学の本『嫌われる勇気』から

「課題の分離」という言葉って知っていますか?

簡単に言えば「それはわたしの問題ではなく、相手の問題だ」というように、その課題が誰のものかを考えて、相手の場合には無理に介入しないという考え方です。

アドラー心理学の本『嫌われる勇気』で読んでから、この課題の分離がずっと印象に残っています。

本で紹介されたいのは親子の話。

親が子どもを心配して「あなたのために」と勉強を強制させたりするのは、かえってよくない結果を招いたりトラブルになると説いています。

親として勉強の重要性を伝えることは大事ですが、勉強をするかしないか、またその結果を引き受けるのは子どもなのだから、これは「子どもの課題」だと言うのです。

仕事や職場でも「あぁ、これは課題の分離と捉えないと」と思うことがあります。

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人材育成における課題の分離

実際にわたしが体験したことに、キャリアップの問題があります。
(※以下ちょっと内容を脚色してお話しますね)

わたしには「この人は仕事ができるから、もっと成長してマネージャーやリーダーになってほしい」思った人がいました。

当時は、会社にとってはもちろん、キャリアアップになるんだから相手にとっても絶対にいいことだと思ったのです。

ところが、相手側からしたらそんなことは望んでいなくて、イチ技術者としてずっとやっていきたいと思っていたのですね。

だから「こういうチャレンジをしてみよう」「次のステップに進もう」と促しても、なかなかうまく進みません。

「わたしは今のままでいいです」なんて言われると、期待した分「どうしてやらないの?」「あなたならできるのに」「もったいないよ」という言葉が出てしまう。

でも言えば言うほど、プレッシャーになってしまってうまくいかない。

マネージャーやリーダーになることで、発生する責任や人間関係などのプレッシャーは、「わたし」ではなく「相手」が引き受けなければいけない結果だからです。

今思えば、どんなにリーダーに向いている資質を持っていても、実際にリーダーになるかどうかは本人の課題であって、わたしがどうこうできる課題ではないのだと感じます。

『嫌われる勇気』では、だからといって放任することを進めているわけではありません。

その時にわたしが話すべきだったのは「リーダーになることはどういうことか」「どんなメリットとデメリットがあるのか」そして、「もしあなたにその気があるなら、最大限のサポートをするよ」という態度だったのだと思います。

アドラー心理学は、放任主義を推奨するものではありません。放任とは、子どもがなにをしているのか知らない、知ろうともしない、という態度です。そうではなく、子どもがなにをしているのか知った上で、見守ること。勉強についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも本人が勉強したいと思ったときにはいつでも援助をする用意があることを伝えておく。けれども、子どもの課題に土足で踏み込むことはしない。頼まれもしないのに、あれこれ口出ししてはいけないのです。

岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社 2013

仕事のやり方に関する課題の分離

もう一つやってしまいがちなことに、仕事のやり方という問題があります。

わたしのように経験を積んだ人間は、それまでの実体験から、効率的・効果的な仕事のやり方をたくさん知っています。

だから、新人その仕事のやり方を見たときに、よかれと思っていろいろアドバイスをしますよね。

「もっとこうしたらいいよ」「こうやるとうまくいくよ」

でもこれがいきすぎると、課題の分離ができていない状態になってしまう。

「どうしてこうしないの?」「前にもこうしてって言ったよね」

本来、仕事のやり方は人それぞれですし、性格や資質によってどういう方法が効率的・効果的かは人それぞれ違うものです。

また時代や年齢によっても、よい方法というのは変わっていきます。

自分にとってうまくいった方法が、必ずしもその人にとってよい方法とは限らないのですね。

そして何より、その仕事がうまくいくにしても、いかないにしても、結果と責任を引き受けるのはその人であって自分ではないのです。

もちろん、組織として仕事をするのですから監督責任は上司にありますし、連携のためにマニュアルを作成して同じやり方を求める必要があることもあるでしょう。

しかし、本人なりの試行錯誤や失敗の経験を経ないと身につかない知識もありますし、自分では気づかなかったよりよい方法をその人が見つけるかもしれません。うまくいかなかったとして評価が下がるのもその人のはずです。

「まずはやってみよう」「こういう点には注意してね」

あくまで本人の主体性を尊重しながら、接することが大事なのではないかと思います。

無論、精いっぱいの援助はします。しかし、その先にまでは踏み込めない。ある国に「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を吞ませることはできない」ということわざがあります。アドラー心理学におけるカウンセリング、また他者への援助全般も、そういうスタンスだと考えてください。本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけです。

岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社 2013

職場での「課題の分離」できていますか?

仕事というのは大勢の人が関わるので、ある意味連帯責任みたいなところがありますよね。

そういう意味で「課題の分離」というのは難しいケースもあるかもしれません。

しかしだからこそ、相手が望まないことを強制させるケースが横行しているように思います。

「相手のためを思って」「自分の責任になるから」

本当にそうなのでしょうか。

今一度、本当に相手のためになるのか、何かあった時に相手ではなく自分が責任を取る覚悟で言っているのか、「課題の分離」という観点で考えることが大切なのではないかと思います。

いいですか、信じるという行為もまた、課題の分離なのです。相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。そこの線引きをしないままに自分の希望を押しつけると、たちまちストーカー的な「介入」になってしまいます。
たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの語る「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。

岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社 2013
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プロフィール

とあるWebマーケティング・制作会社の役員をしています。このブログでは、私たちの会社のリモートワークやチームビルディングの取り組みを発信していきます。

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